回避行動は本当に良くないことなのか?

結論から言います。 逃げること、避けることは必ずしも悪いことではありません。 それは過度にストレスを抱えないための対策にもなるからです。 ただし、その避け方が上手くできていないと、逆に精神的に良くない結果をもたらすことになります。 まず、回避することとはどういうことなのでしょうか。 自分にとって不快なことが起きそう、きっと嫌な思いをするだろう、と感じる時にその状況を避けるために違う行動をする、もしくは何もしないことを言います。 先程も書きましたが、避けることは悪いことではありません。 PTSDや不安症を抱える人たちは、自分の感情を脅かす場面やきっかけになり得るものに対して特に敏感で、それらを避けようとします。 それは自分を守るため、精神的に完全に崩れてしまわないための防衛本能でもあります。 そういった症状がなくても、過去の辛い経験などが原因でもう二度と同じような辛い目にあいたくない、などの気持ちから特定の物事や人を避けることもあると思います。 ただし、避け続けることで精神的に逆効果をもたらすことも多々あります。 そこで、ストレスになりそうな状況を避ける場合、精神的にマイナスにならないようにするための条件があります。 それは、自分がなぜ避けているのかという理由、その行動による自分への影響を把握し、気持ちをコントロールできている、ということです。 人は、自分でその状況をコントロールできていると感じることで、ストレスフルな状況にも感情を落ち着かせうまく対応できるのです。 では、その状況でのコントロール感覚がないまま、ただ必死に避けようとすることがどう精神的に影響するのでしょうか。 まず、根本的な不安はいつまでも解消されることはありません。 もしあなたが人前で話すことに自信がなく、プレゼンテーションなど、とりあえずそういう状況を避けているとします。 避けることでストレスから自分を守ることはできますが、そういう状況に対して常に緊張や不安を抱え、避けることばかりにエネルギーを使い、常に心が疲れてしまうことになります。 そして挑戦することを忘れてしまいます。 完璧でなくていいのです。 少しずつ練習したりその場に自分を慣らすことでそれが自信になり、不安が軽くなっていきます。 さらに、学校や会社などでどうしてもやらなければならない場合、それを避けようとすると辞める選択しかないかもしれません。 それは自分をさらに追い詰めてしまうことにもなりかねません。 次に、避けることで人とのつながりが失われてしまう恐れがあります。 例えば、人にどう思われるのか常に気にしてしまうため、誰かとの会話を極力避けようとしていると、人との交流が途絶えてしまったり、引きこもりになってしまうこともあります。 心を許せる誰かがいること、深い関係ではない誰かとでも交流することは、ストレスを自然に軽減してくれ、生きる楽しみを増やしてくれます。 完全に孤立してしまうことは、社会で生きていくことに苦しさや辛さを感じることにつながってしまいます。 望んで孤立したい人はあまりいないのではないでしょうか。 そして、嫌な思いを避ける、あるいは少しでも気持ちを上げるために別の行動をとることで、結果的に体に害をもたらしたり、精神的に追い詰めてしまうことがあります。 例えば、過度の飲酒、薬の乱用、無防備な性行為など。 その時は気持ちを良くしてくれるかもしれませんが、その影響でやるべきことをやれずそんな自分を責め立てたり、どうしようもない状況にさらにストレスがかかり絶望したり、と気持ちが軽くなるどころか状況の悪化につながることも少なくありません。 深く考えず、ただがむしゃらに嫌なことを避けようとしている場合、これらのような精神的にマイナスなことが起こり得ます。 そこで話を戻します。 効果的に不快な状況を避ける方法、つまり自分がその状況を避ける理由と避けることによって出てくる影響を知ることが大切です。 そのために自分に問いかけてみてください。 あなたが避けようとしている状況、物事あるいは人は、あなたが精神的に成長しようとする過程のジャマになるものですか? ストレスにはいいものと悪いものがあります。 良いストレス、ユーストレスといいますが、それらは新しい環境で物事を始めようとする時に感じるものであったり、あなたのモチベーションを上げる燃料になったりします。 逆に悪いストレス、ディストレスは、会社をクビになる、大切な人を亡くす、など気持ちが辛くなるものをいいます。 それを踏まえて、あなたが避けようとしている状況で、あなたはどちらのストレスをより強く感じますか? もしディストレスしかないのであればそれは避けてもいいのではと私は思います。 もちろん乗り越えたい辛い状況、避けられない苦しい時間は誰もが経験することで、それはゆっくりでも受け止めていくしかありません。 でももし事前に避けられるのであれば、そうすればいいと思います。 逆に、少しでもユーストレスの要素があるのであれば、少し考えてみましょう。 それをこなすことでストレスを感じ、少しは嫌な思いをするかもしれないけど、その先に成長できるもしれない可能性があるのなら、避けずに挑戦してみる価値はあります。 避けることで守れるもの、挑戦することで得られる対価などを考え決断してください。 そしてもう一つ、回避方法で別の行動をとるときの自分を振り返ってみてください。 不快な気持ちを避けるためにまたは気持ちを上げるために、結果的に心身に悪影響のあることをしていませんか? その行動で不安やストレスは解消され、長期的に良い気持ちを維持することができますか? そうでないのなら、その行動を変えましょう。 誰かに気持ちを聞いてもらう、運動をする、好きな音楽を聴く、お気に入りの場所に行く、など長期的にも自分の心と体に良い影響になる行動を模索してそれと取り換えてください。 シンプルですぐにできることなら尚更良いです。 不快な気持ちになりそうな状況を避けることは自然で本能の行動でもあります。 ただし、その理由や影響も考えずひたすら避け続けることは、私たちを精神的に追い詰めることにもなり得ます。 回避行動をとるのなら、それをしっかりと把握して、自分自身の行動と感情をコントロールできるようにしましょう。

苦しい中での希望の見つけ方

辛い時や自分ではどうしようもできないと感じる時、私たちは自らの無力さを嘆き、このままずっと辛い状況が続くのではないか、と先が見えなくなってしまう事があります。 この先、辛い気持ちが晴れることはない、私に良いことなんて起こらない、という状況は希望がない状態です。 マーケティング教授のウタパル・ドラキアによると、希望とは単純に良いことが起きる期待をもつことではなく、どんなジャマが入ったとしても、自分自身の行動によって求めているものを得たり目的の場所に到達できると考えられること、だそうです。 私たちは希望があるから先に進むことができます。 希望がなければ、何のために生きているんだ、何をやったって無駄だ、というようなマイナスの考えに圧倒されてしまいます。 結果、精神的に辛い状態になり日々の生活もままならなくなります。 逆に、ほんの少しでも希望を持てれば辛い気持ちを立て直そうとする力が湧いてきます。 辛くて身動きがとれない時に希望を見出すことはとても難しいことです。 でもそれはあなた次第なのです。 あなたがそうしようとすることで希望が見え、辛い状況から抜け出そうと行動する力になります。 それでは具体的にどうすればいいのか見ていきたいと思います。 リック・スナイダーの希望理論によると、希望は主体性(自分が目標達成できるとどれだけ信じているか)と道筋(目標達成までの現実的で妥当な道筋をたてられているか、上手くいかなかった時に代わりの道を考えられるか)二つの要素に大きく影響されているそうです。 つまり、希望を持っている人たちにははっきりとした目標、それを達成する為の道筋と必ず達成するという自信があり、さらにいくつかの代わりの道筋ももっていて難しい状況でもあきらめずに耐えることができるということです。 これらの特徴から、以下の方法が希望を見出す助けになるのではと私は考えます。 ◎過去の達成経験を思い出す。 自分が今の状況を乗り越えていける力を持っていると信じる為には、今までの達成した経験を思い出すことです。 自信を失くして「私は何も達成したことがない。大して良いことなんて起こった事はない。」と思うかもしれません。 でもそれは過去に起きた嫌な事や辛い経験が強く記憶に残っていて、実は嬉しかったことや褒められたことなどのポジティブな経験が隠されているのです。 ただ、人と比べてはいけません。 人と比べてこんなことぐらいじゃ大したことない、ではなく、あなた自身の過去と比べてでできるようになった、すごい!と思うことが大切なのです。 探してください。 必ずあります。 ◎ポジティブセルフトーク。 ストレスがかかって苦しい時、頭の中には悲観的な考えで埋め尽くされてしまいます。 それでは希望を見つけるどころか、自分をどんどん追い詰めて状況は悪化する一方です。 マイナスの考えでいっぱいになってしまった時は、一旦思考を止めましょう。 そして、それらを否定しましょう。 もしあなたが「このまま私は何も成し遂げず周りに迷惑をかけ続けるだろう。」という考えに苦しんでいるのなら、言い換えてください。 「私は周りに誇れることを達成したことはないかもしれないけど迷惑だと言われたことはない。」とまず否定し、「好きな仕事ができているし私の文句を聞いてくれる優しい友人もいる。私を支えてくれているみんなに恩返しもしたい。まだ私にはやれることがある。」というように考えを作り直してみてください。 思考は私たちの意見を自分自身に伝えています(セルフトーク)。 そしてそれがあたかも事実であるかのように私たちは強く信じてしまいます。 ネガティブなら私たちの気持ちを重く、ポジティブなら気持ちを軽くしてくれます。 どちらのセルフトークをすれば希望が見つけやすくなるかはもうおわかりだと思います。 ◎まだコントロールできていることを意識する。 辛い状況やストレスを強く感じている時、自分ではどうすることもできないと物事をコントロールする感覚をなくしてしまうことは少なくありません。 そんな時は、まだあなたができていることを意識してみてください。 例えば、歩くことができる、思ったことを話すことができる、ごはんを食べることができる、などどんな些細なことでもあなたの意思でできている事柄に気付き、まだコントロールできていると実感してください。 そうすることで、自分がまだ動ける事に気付くことができ、それが希望に繋がり難しい状況を打破する方法を見つけ出す力となります。 ◎目標達成のためには辛い時もあることを頭に入れておく。 何かをやろうとしたり、状況を変えようとする時には楽しいことばかりではありません。 わかっていても嫌な事があったり目標までの道を妨害されるようなことがあるとどうしてもくじけそうになってしまいます。 そんな時は目標までの道のりを歩いている自分をイメージしてみてください。 楽な道、険しい道、行き止まりにあったり、色々な道があります。 嫌な気持ちになることもありますが、色々な道があるのは自然な事でどうしても避けられないところもあります。 少し精神論よりですが、険しい道を経験した時の目的地で観る景色は最高にきれいで、達成感をより一層感じることができます。 もちろん疲れた時は休憩することも大切です。 あなたのペースを知り進んでいきましょう。 ◎柔軟になる。 苦しい時はそのやり方が間違っていたり、あなたにその方法が合っていないことがあります。 無理やり推し進めて過度に気持ちに負担を感じるのなら、別の方法を考えましょう。 慣れた方法をやめて違う方法に切り替えることは面倒で、上手くいくかわからないので不安でもあります。 それでも今の方法で希望が見えないなら、柔軟に別の方法を試す価値はあります。 そうすることで新しい希望が見えてくる可能性は大いにあるので。 自分だけではいい考えがでないなら周りの人たちに相談してみることも大切です。 希望をもつことで私たちは辛い状況でも耐えることができ、行きたい方向に進むことができます。Continue reading “苦しい中での希望の見つけ方”

学習性無力感とは? ~理由と対処法~

日々の生活の中で、どうせ私には何も達成できない、頑張ったって成功するはずがない、そんなことしたって時間と労力の無駄だ、というような思いを抱いたことはありませんか? その結果、挑戦せずあきらめてしまうこと、少なからずあると思います。 それは意思が弱い、という事ではなく、過去の失敗や辛い経験を経たものにとってはごく自然に起こりうる思いです。 今までたくさん努力をしたのにも関わらず、思うように物事がうまくいかず何度も精神的に打ちのめされれば、もう何をやってもうまくいくはずがない、と無力感に苛まれるのは仕方のない事です。 この諦めの気持ちを心理学では学習性無力感といいます。 言葉の通り、学習(経験)した結果、無力になる、というもの。 様々な経験により、自分の無力さを感じることはあります。 でも、それが慢性化すると、自己肯定感の低下、ストレスレベルの増加、不安障害やうつなどに発展することがあります。 学習性無力感は1967年にアメリカの心理学者のマーティン・セリグマンによって行われた犬の実験によって理論づけられました。 その実験では、二つの犬のグループ、AグループとBグループがつくられ、それぞれ別々の部屋に入れられました。 両方のグループの部屋の床には電気ショックが流れる仕組みがありました。 ただし、その一部は小さな仕切りを挟んで電気ショックから逃れることができるようになっていました。 Aグループの犬たちには、その仕切りを越えれば電気ショックから逃げられる、という事を訓練をして覚えさせました。 しかし、Bグループの犬たちにはそのショックから逃げる訓練をせず、電気ショックを流し続けました。 その結果、Aグループの犬たちは電気が流れたら悲鳴を上げながら壁を越えて逃げましたが、Bグループの犬たちは、そこに逃げ場があるにも関わらず、鼻を鳴らしながらあきらめたようにじっとその場に座って、逃げようとしなくなってしまいました。 自分ではどうする事もできない辛い事を経験した結果、実はそこに抜け道があるかもしれないのに、それすら探そうとしなくなるのです。 改めて、これを学習性無力感といいます。 諦めの気持ちが強く何もやる気がしない、辛い状況でもただひたすら耐えてやり過ごす、その状態は心や体へのダメージを蓄積していくことになります。 過去の経験から、希望を抱いたり自信を取り戻すことは簡単ではありません。 しかし、過去から学んで無力感が習慣化されているのなら、それを意識的に捨てる事、それを塗り替える考え習慣を 「学びなおす」事も私たちにはできるのです。 それではどうすれば「学びなおす」事ができるのでしょうか。 1. 成功体験を思い出す。 無力感は過去の物事が思うようにいかない経験によって形成されます。 そして、何をやっても無駄だ、という考えがつくられ、それが頭の中に固執してやる気を損なわせます。 でも逆に、自分の思うようにいった経験や努力をして目標に達したこともあるはずです。 どんなことでもいいのです。 例えば、自転車に乗れるようになった、テストの点数が前回より10点上がった、友達を笑わせることができた、歯の治療を耐え抜いた、などなど。 人生を振り返って、過去に達成したことを思い出し、できれば書き出してみてください。 そうすることで、何をやっても無駄だ、という考えを少しずつ塗り替えることができます。 2.コントロールできることをする。 セリグマンの説では、自分でコントロール(制御)できない状況に対して人は無力になる、ということでした。 ということは、自分がコントロールできそうなことをしてみる事で、自分にも「できる」という感覚がもどってくる、という事です。 例えば、初心者の人がジョギングを始めようとして、最初から10㎞を走ろうとすると、そりゃ途中でバテてしまうし、その結果、ジョギングは無理だ、私には合わない、など決めつけてしまう事があります。 それならまず、これなら自分にできるだろう、といつも設定しているよりも易しいレベルの物事に挑戦してみましょう。 それらをひとつずつやっていく事で、「できる」感覚を実感でき、それが次のステップへのやる気にもつながっていきます。 3.今できる事にベストを尽くす。 まず始めに、私たちにはコントロールできる物事とできない物事がある、という事を理解しましょう。 例えば、病気になってしまう事は、悔しいですが、私たちの力ではコントロールできません。 しかし、治療法について調べたり、食生活を変えたり、時に人に助けを求めたりする事は、私たちにコントロールできる事です。 辛い状況にあったり、無力感に陥っているなら、自分ではどうしようもない事が何かを理解し、受け止め、その中で何ができるのか、を考えてみてください。 そして実際にやってみようではないですか。 もちろん言うのは簡単です。 辛い状況を受け止めるのはとても難しいことです。 しかし、自分が無力な状況に置かれていることを自覚し、その状況から抜け出すための「学びなおし」もできると気付くことで、自分は無力ではないと思えるようになるのです。 もし、自分の能力を疑い、行き詰まりを感じているのであれば、その困難な状況に対処する方法を本当にすべて使い果たしたかどうか考えてみてください。