「私は不十分?」な気持ちから解放される方法

どんな仕事をこなしても、試験で良い点数をとっても、ダイエットに成功しても、自分は不十分な人間だと感じることはありませんか?

自分はまだまだだな、もっと頑張らないといけない、など様々な経験からそう感じることは誰にでもあります。

しかし、目標を達成したはずなのに満足な気持ちになれず自分の力を疑ってしまう場合、心から喜ぶことができず不安な気持ちばかりになってしまいます。

それでは何をしても意味がないと無力感を感じ、私の力ではできないだろうと、できなさそうな物事を避けるようにもなります。

そうなると、自信はどんどん失われ自分に対する価値も低くみるようになってしまいます。

結果、心は病みます。

心を少しでも楽にするために、自分には何か欠けていると感じる原因を知り、それに基づいた解決法を探っていきましょう。

理想の自分と現実の自分にギャップがある

不十分だと感じるということは、思い描いている理想の自分と現実の自分の状態にギャップがあるということです。

だから周りの人たちから褒められても、自分ではいまいち嬉しさを感じることができないでいる。

無意識に、「私はこんなものではない」というように感じてしまっているのかもしれません。

なので、まずその「理想の自分」を知りましょう。

次に、「今の自分」を知りましょう。

できるだけ詳しく。

そして、そのギャップがどのくらいなのかを知り、その差が大きければ「理想の自分」を現実的に改善してみましょう。

「今の自分」とあまりにかけ離れていては、達成感で満たされることや自分を認めてあげることは何をしても難しいでしょう。

詳しくは「なりたい自分になる方法。パート1」を参考にしてください。

自己肯定感が低い

自己肯定感とは自分をどうみているのか、どのように受け止めているかという自分に対する自己評価のことです。

この自己肯定感は過去の経験などが影響し、その評価は低くなったり高くなったりします。

自分の価値を認めている人、自分はこれでいいんだと思えている人は、自己肯定感が高く、ある程度の自信がありストレスにも上手く対応できます。

逆に、自分に対してネガティブな感情を抱いている、つまり今の自分が好きではない人は自己肯定感が低く、あまり自信が持てません。

そして、自己肯定感が低いと、自分に対する態度も厳しくなってしまいます。

例えば、物事を上手くやり遂げた時や、誰かに褒められても、「偶然うまくいった、私の実力ではない」「褒めてくれたのはきっと私がかわいそうに見えたからだ。本心ではそうは思っていないはずだ」というふうに考えてしまう。

このような考え方では、いつまでも自分を認めてあげることはできないし、常に「私は不十分」という思いがつきまとうでしょう。

だから、考え方を変えましょう。

思考の改革です。

長年にわたって育てられた思考はそんなに簡単に変えられるものではありません。

が、変えることはできます。

まず、あなたがどんな思考パターンをもっているのかを観察してください。

そして、その考えによってどんな気持ちになるのか(嬉しいのか、悲しいのか、辛いのか、恥ずかしいのか、など)注目してください。

もしあなたに辛いとか悲しいなどのマイナスの感情が起きるなら、その元となる考えを振り返り少しでもポジティブ寄りなものに変えましょう。

そうすることで自分に対する見方が変わり、不十分だという思いを減らすことができます。

損する考え方」「マイナス思考を変える4つのステップ」で詳しく書いているので参考にしてください。

自分に厳しい。

先程も書きましたが、自己肯定感の低い人は自分に厳しい人が多いです。

理想の自分と今の自分とのギャップが大きい人も自分に厳しくなると思います。

人は最初から何でもできるわけではありません。

成し遂げたいことのレベルがその人にとってレベルが高いほど、その道は険しく精神的にもストレスが大きくかかります。

自分自身に喝を入れるため、何としても理想の自分になるため、ストイックになるのは悪いことではありません。

むしろ素晴らしいことです。

しかし、あまりに厳し過ぎて自分の良いところや許容量を無視し、自分をけなすようになるような厳しさは心に毒だと私は思います。

自分への思いやり、セルフ・コンパッションをもってあなた自身に接してみてください。

不十分だと感じたら、何が不十分なのか、それは必ず今できていないといけないのか、今後できる可能性はゼロなのか、逆にできたことは何なのか、など考えてください。

もしあなたの大切な人が同じように悩んでいたら、あなたはどう接しますか?

自分に優しくすることはあなたの心を満たすことにつながります。

自分自身の価値観が曖昧

あなたはあなたの価値観についてどこまでわかっているでしょうか?

自分が不十分だと感じる人は、もしかしたら誰かの価値観で日々暮らしているのかもしれません。

あなたは誰かではないので(当たり前ですがw)、誰かの価値観で生きていれば不十分だと感じてもおかしくないでしょう。

例えば、本当は料理人になりたかったのに、両親が医者になってほしいと望んでいるのでその道を選ばざるを得なかったとしましょう。

医者になったあなたは両親の安堵し誇り高い表情を見ることはできましたが、生き生きと仕事をしている人を見ると自分には足りないものを感じる。

また、恋人を失いたくなくて何でもかんでも相手の意見に合わせて行動してしまい、いつの間にかその恋人の価値観で判断し行動している。

あなたの価値観を考えることもできず、その相手なしではどうしていいかわからず自分の存在自体が不十分なものになってしまう。

その脅威で人に依存し、離れられるのではないかという不安な気持ちを常に抱えていることにもなります。

まず自分の大切にしているもの、価値をおいているものは一体何なのかを考えましょう。

それらをはっきり把握しておくことで、自分の判断を後悔しなくなり、それに沿った行動もとれるようになります。

自分が大切にしている価値観を基に行動していると、自分は不十分だという気持ちになることはないでしょう。

過去の経験に縛られている

過去に周りの人たちから「あなたは何もできない」「こんなこともできないのか」などと言われてきたり、目標を達成しても誰にも褒められたり評価されたことがないと、「私は不十分だ」という考えが植え付けられることがあります。

そして、一旦植え付けられたその考えは根付き、いつまでもあなたにつきまといます。

そのくらい過去の辛い経験には強い影響力があるのです。

だけどそう考えてしまうのは自然なことで、あなたが悪いわけではありません。

でもだからこそ、過去のその辛い経験で今を生きるのはやめましょう。

今のあなたは過去のあなたとは違います。

昔はできなかったことでも今は挑戦すればできることがあります。

誰かの評価で生きる必要もないのです。

あなたがこれをすれば自分を褒めてあげれそうだ、というようなことをあなたのペースでやってみてください。

それらが積み重なっていくと過去の自分から解放されます。

辛い過去に囚われないようにする方法(前半)」も参考までに。

自信がない

何かをする時、まずある程度の自信がないと行動にでることは難しいでしょう。

自分にはできそうにない、とチャレンジする機会があっても結局あきらめてしまう。

自信がもてなくて行動できないから私は不十分だと思ってしまう。

でもこれは実はあなたがあなたにそう言い聞かせているだけなのです。

やったことないことに対してやる前から「ワタシニハデキナイ、ゼッタイニデキナイ」と自分に呪文をかけ、信じ込ませているのです。

この習慣ができてしまうと、その思考はあたかも真実のようにあなたの脳に残ります。

そして、これからもあなたの行動を制限します。

そうすると、何かをして満たされるような経験をすることができなくなります。

自信がない→行動回避→自信をつける経験ができない→不十分な気持ちのまま

という負のループができてしまいます。

なので、呪文をかけるのを止め、あなたのペースで少しできそうなことに挑戦してみてください。

自信をつけるために。

そうすることで、自信はそんなにないけどやってみる→できた→自信が少しつく→心が少し満たされる(→違うこともやってみる)、の良い感じのループになるはずです。

不十分な部分を受け入れていない

私たちに不十分な部分というのはもちろんないわけではありません。

自分に厳しかったり、自己肯定感が低かったりで自分は不十分だと言い聞かせているところもありますが、本当に足りていないところはあるかもしれません。

ただ、そのことを受け入れてしまうと傷ついてしまうので、見ないようにしている。

そしてその部分はそのまま放置でずっと不十分なまま。

そこで、その部分を自分には足りないところだと認めてあげましょう。

自分の足りていないところを直視し受け入れることで嫌な思いはするかもしれませんが、そこを良くすることはできます。

自分に足りていないところを埋めてあげることができれば、不十分だという感覚も抑えることができます。

そして自分の成長を感じることもでき、自信をつけることもできるのです。

「私は不十分だ」という気持ちには原因があります。

その原因が何なのかを知り、自分を知り、不十分な感覚を弱めることができる方法を探ってみてください。

もしあなたに足りないものがあるなら、今から足していけばいいんです。

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